安達裕也氏によれば、無能へ優しく振る舞う理由はこうなる。--ココカラ引用--”職場では「無能」へ優しく振舞うのは 以下の理由から、あたりまえ。 1.できない人を詰めても、状況は改善しないので 時間の無駄。 2.できない人を詰めると、場の雰囲気が悪くなる ので心理的安全性が阻害される。 つまり、優しいのは「できない人」のためではなく 「できる人」のため。午前8:47 · 2020年10月15日·Twitter Web App” https://twitter.com/Books_Apps/status/1316525946778910720--ココマデ引用--
厳しくとも、言われるうちが花、とはよく言ったものだ。さて、氏のおっしゃるとおり優しく振る舞ってみると、その先におのずと答えが出る。その解釈は、ひとそれぞれ。
無能でも生きられるのは、運が良いからだ。運が良いから、今の日本でその集団は死にはしない。正義を振りかざさなかいことは確かに賢い。けれど、能力如何に関係なく、もしも、敬意を払われる集団でありたいなら、無能にはバッジを与えても、部下を持たせてはいけない。
あるクライアントは、世に「できる人」とされる優秀な人材だった。彼は、彼がいうところの「無能が塊で責め合っていたチーム」を、指摘せずに去った。
「多数派が無能だからといって、今の日本では運さえよければ、死にはしない。しかし自分が関わる必要はない。」と、無能の諍いを指摘せず、ジェントルに振る舞った彼は、時間を無駄にせず、心理的安全性が保たれる職場へと移った。
世に「できる」とされるメンバーの関心の指向や、振る舞いが変わったら、組織はその動向をキャッチして、少し冷静に振る舞うのも策。
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